[ファイナルファンタジー] 「FFらしさ」とは何か

ファイナルファンタジー ファイナルファンタジーシリーズ

ゲーム界隈でしばしば議論される「FFらしさ」。ゲームの文脈で「FF」といえば、1987年に当時のスクウェア(現在のスクウェア・エニックス)が発売したRPG「ファイナルファンタジー(FINAL FANTASY)」に始まるナンバリングシリーズ、さらには外伝やスピンオフまで含め、作品名に「ファイナルファンタジー」を冠した一連のIP(Intellectual Property = 知的財産)作品のことを指すのだけど、その各作品についてプレイした人から「FFらしくない」とか「これはFFじゃない」などと評価されることがある。では、FFらしさとは何か?もっといえば、FFとは何か?そんなことをちょっと考えてみることにする。

なお、ここでは主にナンバリング作品(I~XVI)についてのみ言及し、それ以外の「ファイナルファンタジー」を冠しているスピンオフ作品(「ファイナルファンタジー タクティクス」、「ファイナルファンタジー クリスタルクロニクル」、「聖剣伝説 ファイナルファンタジー外伝」、「光の4戦士 ファイナルファンタジー外伝」など)については触れないものとする。

ファイナルファンタジーの原点

「ファイナルファンタジー」(以下、FF)は、その第1作目が1987年12月に発売されたファミリーコンピュータ(ファミコン)用のゲーム作品。ジャンルはRPG。この売上げが好調だったため、2作目である「ファイナルファンタジーII」以降も開発されることになり、このシリーズは現時点で最新となる「XVI」に至るまで続いている。

まず、その起源である第1作目はどのようなコンセプトでつくられた作品だったのか。当時、ファミコン向けにつくられたRPGというのは「ハイドライド・スペシャル」(東芝EMI)と「ドラゴンクエスト」(エニックス)(以下、DQ)くらいであり、このうちハイドライドはPC向けタイトルの移植作品であったが、DQはオリジナルのファミコン向けRPGということで注目を集めた。FFの生みの親である坂口博信氏も当然そのDQを強く意識していたという。ただ、FFの開発陣はDQと同じものをつくるのではなく、DQにはないことを新しい作品で実現したいとも考えていた。ここに「FFらしさ」の起源のようなものをみることができると思うので、まずこのFF1作目の特徴についてDQ(当時発売済のDQ1、DQ2)との違いという観点でみると

  • DQがプレイヤーが主人公視点で物語を追体験していくのに対し、FFはプレイヤーが主人公の物語を俯瞰して小説や映画の感覚で体験する
  • DQが主人公や主要キャラクター以外のサブキャラクターがほぼ全てモブであるのに対して、FFは旅先で出会うサブキャラクターにもストーリー性がある
  • DQの戦闘シーンは主観視点でモンスターにフォーカスして描写しているのに対して、FFはプレイヤーキャラクターや背景も含めて描写している
  • キャラクターデザイン

といった感じだろうか。

他にも、フィールド上に表示されるキャラが先頭の1人だけであったり、システム的なところでバッテリーバックアップを使用したセーブが可能になっていたりと、細かい違いはいくつかあるが、あまり本質的でなかったり、DQにも後続作品で同様のシステムが導入されたりもしているので、いったん割愛する。

では、これらのポイントについて詳しく考えてみる。

まず、物語の体験の感覚がDQとFFとで異なっている。DQは主人公=プレイヤーとしてイベントが進行していくが、FFは主人公は小説や映画の登場人物で、それをプレイヤーがいわゆる神の視点から操作しているような感覚になる。

DQのサブキャラクターも主人公に話しかけるときは、プレイヤーに対して話しているようなセリフ回しが多い。旅の途中で全滅してしまい王様のところに戻されたときの「しんでしまうとはなさけない」なども、その主人公キャラにというよりは、プレイヤーに向かっていわれているような感じだろう。一方でFFのセリフ回しは「せんしたちよクリスタルにしゅくふくを」など、あくまで作中の光の4戦士へ向けたセリフとなっている。DQが基本的に1人の勇者(DQ2の場合はローレシアの王子)から物語が始まるのに対し、FFは最初から4人で物語が始まるという点においても、プレイヤーの視点が変わる要因といえるかもしれない。

そして、FFには主人公以外のサブキャラクターにも背景が設定されているというのも、DQとの違いといえる。DQでは、旅先で出会うサブキャラたちはメインストーリーに関わる情報をくれるキャラであっても、基本的に村人、商人、兵士などモブキャラに徹しており、DQ1で名前があるキャラといえば、ラダトームの王様である「ラルス16世」とその姫「ローラ姫」くらいだ。DQ2のサブキャラも(少なくとも私は)あまり記憶になく、水の羽衣をつくってくれる「ドン・モハメ」と水門のカギを持ち逃げした「ラゴス」くらいしか思い出せない。(物語に直接関係ないキャラであれば、ペルポイの街にいた「アンナ」は記憶に残っている。話しかけるとBGMが「ラブソングを探して」に変化する!)

この点、FFでは行く先々で発生するイベントの中心となる人物にはほぼ名前がついており、その人物の背景についても設定がある。ガーランドにさらわれたコーネリアの姫「セーラ」、水晶の目を探している魔女「マトーヤ」、港町プラボカの海賊「ビッケ」、ドワーフの鍛冶屋「スミス」、ロゼッタ石と引き換えにルフェイン語を教えてくれる「ウネ」など、あげていけばこの後も名前付きのキャラが次々と登場し、それぞれ何か悩んでいたり問題を抱えていたりする。これはFFがDQよりも後発作品であり、それらの要素を盛り込める容量が確保できるようになったことも大きいとは思うが、サブキャラの背景はメインストーリーに大きく関わる要素であり、最初からそういう設計思想がないと実装もされなかっただろう。

そして戦闘シーンの描き方だが、これがDQとFFで一番目に見えて違う点だといえる。DQでは主人公キャラは画面に表示されておらず、敵となるモンスターのみが描かれる主観視点となっている。これは当時PCなどで先行していたRPGがそうであったから、DQもそれを踏襲したのだろうと思われる。それに対して、FFでは主人公たちのキャラが画面の右側に、敵となるモンスターが左側に描かれ、それを横から見るサイドビューとなっている。シューティングでいえば、DQがFPS(ファースト・パーソン)であるのに対して、FFはTPS(サード・パーソン)という感じだろうか。

DQのように主観視点の場合、主人公キャラたちの状態はHPやMPなどの数字で見ることになる。ピンチ=HPの数字が少ないという判断をして回復魔法などで対応する。一応、HPが少なくなってくると文字の色が赤くなって、それによってもピンチを察知できるようにはなっている。一方、FFではキャラも表示されているので、ピンチかどうかをHPの数字で判断できるのと同時に、キャラが座り込んでつらそうにするので、視覚的に回復行動が必要そうだということが認識できる。つまり、見た目でより直感的にプレイできる。キャラに表情がつくことは、プレイ体験としてもコンピューター独特の無機質さを薄めることができるし、ユーザーフレンドリーだろうと思う。

最後に、キャラクターデザインの違いについて。これはもうデザイナーの違いでしかないのだが、これ自体もDQとFFの世界を特徴づけるものになってしまっていると思う。DQのキャラクターデザインはいわずもがな鳥山明氏で「Dr. スランプ」や「ドラゴンボール」などにみられるようなポップでコミカルなタッチとなっている。一方でFFのキャラクターデザインは天野喜孝氏で、彼の絵は繊細、妖艶で幻想的だと評価されているが、それはそのままFFの世界観として溶け込んでいると思う。何なら天野氏はFFの絵を描く人だと認識されてるまであるのではないか。

とりあえず以上がFF1作目についてDQと比較した場合の違いであり、特徴だと考える。これを原点として、以降のFFナンバリング作品がどう変化していったかを見ていこうと思う。

ゲームシステムの変遷

ここまで初期のDQと比較することでFF1の特徴をみてきたが、FFシリーズの変遷はゲームシステムの変遷ということもできると思うので、ここからはゲームシステムに着目していく。

まず、FF1のゲームシステムをざっくり。

  • 経験値を得てレベルアップすることによりステータスが成長する
  • バトルはランダムエンカウントで完全ターン制のコマンドバトル
  • 魔法は、白魔法、黒魔法の2種類があり、魔法屋などで習得アイテムとして入手し、それを消費することで習得する
  • 魔法の使用は回数制。レベルアップにより使用可能な回数が増えていく
  • ジョブは選択可能。初期で選択可能なジョブは、戦士、モンク、シーフ、白魔道士、黒魔道士、赤魔道士。ストーリーが進行すると上位ジョブにクラスチェンジできるように
  • 移動手段は、カヌー、船に加え、地形を無視して高速移動できる飛空艇がある

と、こんな感じ。ジョブのシステムについては既にFF1の時点から実装されていた。あと、FFを象徴する乗り物である飛空艇もFF1から存在していた。

これがFF2でどう変わったかというと、2作目にしていきなりいろいろガラリと変わってしまう。

  • レベルによる成長は廃止され、戦闘中の行動によってステータスが上昇する仕組みに
  • バトルは前作同様ランダムエンカウントで完全ターン制のコマンドバトル
  • 魔法は、白魔法、黒魔法の2種類を踏襲。習得アイテムとして入手する点もFF1と同様
  • 魔法は回数制ではなく、魔法ごとに決められたMPを消費して発動する形に
  • ジョブの概念は廃止
  • 武器や魔法ごとに熟練度が設定され、使用するたびにその熟練度が上がって強くなる
  • 移動手段は、カヌー、船、飛空艇に加え、地上に限り高速移動できるチョコボが登場

今はFFの象徴とも考えられていたジョブのシステムはFF2で一旦なくなる。あと、RPGの成長システムの定番ともいえるレベルによる成長も廃止となり、かわりに熟練度の仕組みが導入された。

次にFF3。FF2で奇をてらい過ぎたのか、いくつかFF1の仕様に戻している。

  • レベルアップによる成長が復活。FF2の戦闘行動や熟練度による成長システムは廃止
  • 魔法は、白魔法、黒魔法に加えて召喚魔法が登場
  • 魔法はアイテムとして入手するが、消費アイテムではなく装備して使う仕組みに
  • 魔法の使用は回数制に戻った
  • ジョブのシステムが復活。主人公たちは「たまねぎ剣士」というジョブからスタートし、ストーリー進行によってジョブチェンジ可能なジョブが増えていく
  • ジョブの種類も大幅に増え、召喚魔法を使用する召喚士もFF3から登場
  • 移動手段は、カヌー、船、チョコボ、飛空艇に加え、飛空艇よりも高速移動できるノーチラス、拠点としても利用できる大型船インビンシブルが追加。ノーチラスはストーリー進行により海中に潜ることもできるようになる

FF2のシステムはウケが悪かったからか、ほぼFF1の仕組みに戻している。戻した上で、それぞれのシステムを大幅にアップグレードしている印象。FF3で初めて召喚魔法と召喚士も登場し、FFのアイデンティティといえる要素が一通り出揃った。

そして、次のFF4はプラットフォームがファミコンからスーパーファミコンになる。

  • バトルシステムとして「アクティブタイムバトル」(ATB)を導入
  • 魔法は、白魔法、黒魔法、召喚魔法に加えて、忍術が登場
  • 魔法のアイテム習得は廃止となり、レベルアップによって自動的に習得するようになった
  • 魔法の使用について回数制は再び廃止され、所定のMPを消費して使用する形に
  • ジョブはキャラごとに固定されており、自由にジョブチェンジはできなくなった
  • 初期状態ではキャラの名前も固定となっているが、ある条件を満たすと変更可能になる
  • 移動手段は、船、チョコボ、飛空艇(エンタープライズ、ファルコン号など数種類ある)に加え、水上移動が可能なホバー船、往復移動のみだが低空飛行できる黒チョコボが登場する
  • ストーリー終盤になると、月まで飛べる魔導船が登場

プラットフォームも変わり使用できる容量も大幅に増えたことによって、マップも大幅に拡がり、移動手段も増え、物語も壮大になった。FFシリーズの特徴的なバトルシステムであるATBが登場したのも、このFF4が初となる。

次にFF5はどうか。

  • 魔法は、白魔法、黒魔法、召喚魔法、忍術に加え、時空魔法、青魔法、歌、魔法剣が登場
  • 魔法の習得は基本的に習得アイテムが用意されているが、召喚魔法の一部と歌はバトルやイベントによる習得、青魔法はモンスターからの「ラーニング」による習得となる。特に青魔法のラーニングは本作のやり込み要素のひとつともなっている
  • ジョブチェンジのシステムが復活。主人公たちは「すっぴん」からスタートし、ストーリー進行によってジョブチェンジ可能なジョブが増えていく
  • ジョブの種類が大幅に増加。モンスターの特殊技を「ラーニング」して使用する青魔道士はFF5で初登場となる
  • ジョブごとの能力を付与できる「アビリティ」のシステム導入。アビリティポイント(AP)を消費することでジョブ特有のアビリティ(ジョブコマンド、またはジョブ特性)を習得することができる。習得したアビリティは、他のジョブでもセットして使用することができる
  • 移動手段は、船、チョコボ、黒チョコボ、飛空艇と、海中を移動できる潜水艇、イベントで乗れるようになる火力船がある。期間限定で飛竜にも乗れる

FF3におけるジョブチェンジのシステムが復活し、さらに「アビリティポイント」(以下、AP)でジョブごとのコマンドや特性を習得できるジョブアビリティのシステムが導入された。このアビリティの要素は、以降のナンバリングでも名を変え形を変えて実装されていくことになる。

次に、スーパーファミコン最後のナンバリング、FF6について。

  • 本作の世界観により魔法が特殊な扱いとなり、白魔法、黒魔法のような分類はなくなった。ただし、白魔法相当、黒魔法相当の魔法として従来の回復魔法(ケアル、レイズなど)や攻撃魔法(ファイア、ブリザドなど)、補助魔法(プロテス、シェルなど)は存在する
  • 魔法の扱いが特殊になったためか、習得方法も、魔石というアイテムを装備して戦闘をすることで対応する魔法を習得するという仕組みになっている(ただし、主人公のティナとセリスに限り、魔石なしでも魔法を習得する)
  • 召喚魔法は、対応する魔石を装備することで、1回の戦闘に1度だけ使用することができる
  • 戦闘中に瀕死になったキャラで「たたかう」コマンドを選ぶと、一定確率でキャラ固有の必殺技が発動するようになっている
  • ジョブはキャラクターごとに固定(これはFF4と同様)
  • 装備品であるアクセサリにアビリティ相当のプロパティが付与されており、これによりFF5のアビリティと同等のことが実現できるようになっている
  • 移動手段は、船、チョコボ、飛空艇(ファルコン号、ブラックジャック号)の3種類。魔導アーマーも乗り物といえなくもないが、主に戦闘兵器としての扱い

FF6は世界観の演出により魔法に白黒の概念がなくなり、習得方法も特殊になっているが、実際は従来の白魔法と同様の回復魔法、黒魔法と同様の攻撃魔法などは従来通りの名称(ケアル、ファイア、プロテスなど)で実装されている。また、特定の条件を満たすことで特殊な技が発動できるようになる、いわゆる必殺技の要素が導入されたのは、このFF6が最初だった。

次のFF7からまたプラットフォームが変わる。

  • フィールド、バトル、イベントのカットシーンなどは全てフル3Dポリゴンによる表現となった。一部のイベントはプリレンダリングによるムービーとなる
  • バトルはATBによるコマンドバトルだが、従来の2Dサイドビューから3D表現になったことで、カメラワークを駆使した動的な演出になった
  • バトル中にダメージをうけることでリミットゲージというメーターが増えていき、これが満タンになると「リミット技」というキャラ固有の必殺技を発動することができる
  • 「マテリア」のシステム導入。武器やアクセサリに「マテリア穴」という穴があり、そこにマテリアを装備することで、対応するコマンドや魔法を使えるようになる
  • ジョブの概念はない。キャラごとに適性はあるが、誰でも装備にマテリアをつければ、それに対応する回復魔法や攻撃魔法、召喚魔法が使えるようになる
  • キャラ名は、デフォルト(クラウド、ティファなど)はあるが、加入時に変更することができる
  • 移動手段は、従来の船、チョコボ、飛空艇(ハイウィンド)に加えて、バギー、潜水艦、タイニーブロンコ、海チョコボ、山チョコボ……などなど数え切れない種類が追加された。ここに至って最早乗り物はあまり重要でなくなってきたので、以降割愛する

FF7からプラットフォームがスーパーファミコンからプレイステーション(以下、PS)になり、表現方法が従来の2Dドッド絵から3Dポリゴンになった。ゲームシステムとしては「マテリア」という従来のFFにはない新しい考え方が導入された。このマテリアは、従前のアビリティを付与できる要素である他、マテリアにもレベルがあり、それを装備してバトルを繰り返す(APを得る)ことでレベルアップするという成長要素でもあった。

では、PSにおけるFF2作目となるFF8はどうだったか。

  • モンスターのレベルがプレイヤーのレベルに連動するようになった。プレイヤーが成長(レベルアップ)するとモンスターも強化される
  • 「ジャンクション」のシステム導入。従来のFFで魔法や召喚獣として存在していたものは、本作ではそれらを装備(ジャンクション)して対応するコマンドを使用可能にしたり特性を付与したりするものになっている
  • 魔法はモンスターがドロップする魔石から精製する他、モンスターやドローポイントから「ドロー」することでも入手できる
  • 従来のFFで召喚獣に相当するものは、今作では「G.F.」(ガーディアンフォース)と呼ばれる。これも装備(ジャンクション)することで、G.F. コマンドにより対応する G.F. を召喚することができる。また、G.F. は経験値を得てレベルアップしていく
  • G.F. はそれぞれ固有のアビリティを持っており、そのG.F.をジャンクションしたキャラはアビリティをAP(アビリティポイント)を消費して習得できる

FF7ではマテリアが登場したが、FF8ではそれがなくなり、代わって「ジャンクション」のシステムが登場する。これは従前のシリーズでいうアビリティを付与できる仕組みであり、ジャンクションする魔法や G.F. の収集はやり込み要素ともなっていた。これはまた従来になかった新しい概念で、こんなにシステムが変わるなら最早FFでなくても良いのではないか、FFとは一体何だろうか、といった空気になり始めたのも、いよいよこの頃からだったかもしれない。

そんな流れを受けてか、次のFF9はノスタルジーに訴えた内容となる。

  • モンスターのレベルは固定となった(FF8のモンスターレベル連動は廃止)
  • 従来のジョブの概念はないが、キャラごとに特性や固有コマンドによる特徴づけがされており、例えば、ジタンはシーフ、ビビは黒魔道士、エーコは白魔道士・召喚士のように振る舞う
  • 魔法は白魔法、黒魔法の概念が復活。ただし、レベルアップによる自動習得やアイテム消費による習得ではなく、後述するアビリティとしての習得となる
  • 本作ではアイテムを装備することでそのアイテム固有のアビリティが使用可能になり、それを使い込む(アビリティポイントをためる)とそのアビリティを習得できるという仕様になっている
  • FF7、FF8ではオミットされていた装備品だったが、本作ではそれらがアビリティ習得要素となるため、FF6以前のような装備が復活している

舞台をPSに移してからどんどん違うゲームになっていた印象のあるFFだったが、FF9はその流れを見直し「原点回帰」をテーマに掲げての発売となった。キャラクターデザインが3~4頭身というドット絵時代のFFを思わせるデザインになり、バトルのBGMもFF6までの定番だった(しかし、FF7、FF8ではなくなっていた)あのイントロが復活している。また、いわゆるアビリティのシステムも、FF7の「マテリア」やFF8の「ジャンクション」などといった新しい用語は使わず、単にアイテムのアビリティとして用意されている。これも「FFではないもの」を「FFらしいもの」に戻す試みだったといえるかもしれない。

そしてナンバリングもついに2桁に突入し、FF10(FFX)となる。

  • シリーズ初のキャラクターボイスが導入される
  • フィールドやダンジョンのマップがカメラ固定の3D表現となり、序盤から中盤にかけて移動がほぼ一本道となる。ストーリーが進むと、飛空艇によるファストトラベルができるようになる
  • バトルにおいてATBが廃止され、新たにカウントタイムバトル(CTB)を導入。プレイヤーキャラやモンスターの素早さに応じて行動順が決定される仕組みになった
  • キャラクターの成長システムとして「スフィア盤」を導入。本作では経験値の概念がなく、代わりにアビリティポイント(AP)を稼ぎ、それを消費してスフィア盤の各種ステータスアップやコマンドなどを習得していくという育成になる
  • 本作もジョブの概念はないが、スフィア盤で習得する内容によってある程度キャラの特性を決めていくことができる。ただし、初期段階で各キャラが習得できる能力はある程度固定されている。一定の条件を満たすことで習得可能な能力が増えていく

ここでプラットフォームがプレイステーション2(以下、PS2)となり、リアルタイムなポリゴン表現も明らかな多角形ではなくなり比較的自然で美麗なものになった。また、今どきの作品では標準的となっているキャラクターボイスも本作からの実装となる。また、キャラクターの成長システムも、ポイントを消費してスキルを習得するスキルツリーのような概念となっており、このあたりからいわゆるレトロゲームとの分水嶺となるような特徴がみられはじめる。

それにしても、FF9で一度「原点回帰」したにも関わらず、FF10でまた従来のFFの要素を大きく捨ててくるとは、最早そこにこだわる必要はないと踏んだということか。確かに、PS2という(当時)次世代機において古いゲームのつくり方を通していく道理はなく、これがこれからのFFの姿であるという主張だったのかもしれない。

FF11以降のゲームシステムについては、ナンバリングごとにほぼ刷新といって良いレベルで代わっていている。特にFF11とFF14に至ってはオンラインサービスでの提供となっており、そのゲームシステムは従来のFFと単純に比較できるものではない。ということで、これ以降のゲームシステムについての評価については割愛する。

ここまで、FF1からFF10までのゲームシステムを俯瞰して見ると、FF1でDQと違うものを提案し、FF2でちょっとスタンダードから外したものに挑戦し、FF3ではやっぱりFF1路線でアップグレードしていく方針に戻し、FF4以降はしばらくほぼ同じシステムを踏襲しているという流れに見える。その風向きが変わり始めるのがプラットフォームがPSとなったFF7あたりからで、ここからは(FF9でいったん戻しはするものの、それ以外は)ナンバリングごとにマテリアやジャンクション、スフィア盤などの新しい概念が入りはじめ、FF12以降の成長システムだけをみても「ライセンス」とか「クリスタリウム」などのような新しいものに刷新されるということを繰り返している。

まとめると、このシリーズのオリジナルであるFF1を基準に評価するなら、いわゆる「FFらしい」ゲームシステムというのは、おそらくFF6までになるのでは、と考えることができそうだ。

ストーリー・世界観の変遷

次に、FFらしいストーリー、FFらしい世界観とはどういうものなのかを考えてみる。ただ、実はFFシリーズのストーリーというのは、ナンバリングごとに全く繋がりがない。つまり、シリーズで一貫した世界観もないといえる。ただ、ストーリーや世界は異なっていてもFFシリーズに特徴的な共通の要素というのはあり、おそらくそれが「FFらしさ」として認識されているのだと思う。

ということで、ざっくり perplexity 先生に聞いてみた。

Q:「ファイナルファンタジー」シリーズの共通要素はどのようなものか。

A:ファイナルファンタジーシリーズには、以下のような共通要素が存在します。

  1. クリスタルの重要性:多くの作品で世界の根幹をなす重要な要素として描かれています。
  2. 召喚獣の存在:様々な作品で登場し、物語や戦闘システムにおいて重要な役割を果たしています。
  3. 魔法システム:各作品で独自の魔法システムが存在し、世界観の重要な一部を形成しています。
  4. 独立した物語と世界観:各作品が独自の世界設定とストーリーを持ちながら、共通の要素を共有しています。
  5. 特定のモンスターやアイテムの再登場:チョコボやモーグリなどの特徴的なキャラクターや、エリクサーなどのアイテムが複数の作品に登場します。
  6. キャラクターのアーキタイプ:勇敢な主人公、神秘的なヒロイン、頼もしい仲間たちといった典型的なキャラクター設定が多くの作品で見られます。
  7. 壮大な冒険と世界の命運をかけた戦い:多くの作品で、主人公たちが世界を救うための壮大な冒険に出ることが共通しています。
  8. 技術と魔法の融合:ファンタジーとSFの要素を組み合わせた独特の世界設定が多くの作品で見られます。
  9. 革新的なゲームシステム:各作品で新しいバトルシステムやキャラクター成長システムが導入されています。

これらの共通要素が、ファイナルファンタジーシリーズの一貫性と独自性を生み出し、ファンを魅了し続けています。

なるほど。クリスタル、召喚獣、魔法、そして特定のモンスターやアイテムということについては、概ねその通りだろう。特にクリスタルはFFを象徴する存在であり、これはシリーズ全ての作品に何らかの形で登場している。召喚獣はFF3からの登場になるが、それ以降は召喚獣の種類は異なるものの、召喚獣自体は全ての作品に存在している。魔法については、それ自体はファンタジー要素として外せない存在ではあるが、特にFFの要素としては、ファイア、ブリザド、ケアル、レイズなどといった共通の名前で実装されていることで、そこは確かにFFの世界であると認識できる。モンスターであれば、ゴブリン、モルボル、ラミアなど、アイテムであれば、ポーション、エクスカリバー、源氏シリーズなど、同じものが複数の作品に登場することで、これもまたFFのアイデンティティを感じられるものになっているといえる。

ところで「独立した物語と世界観」というのは、それ自体がFFらしいということになるだろうか。つまり、シリーズの各作品ごとにストーリーも世界もつながっていないことが、むしろFFらしい要素であると。これはゲーム作品の特徴というよりは、このシリーズを売るという観点での評価にはなるが、確かに、FF1から続くナンバリングでありながら、前作をプレイせずとも気兼ねなくその時点における最新作を楽しめるシリーズである、と考えることもできる。

あと、最後の「革新的なゲームシステム」というのは、ストーリーや世界観の評価とはズレるが、統一的なシステムを踏襲せず、毎回新しいシステムを導入していくことが、むしろFFらしいということになるか。統一的なシステムというのは、確かに時代を追うごとに古臭く陳腐化しやすいもので、いつまでも同じシステムにこだわるより、常にその時代の最先端となるシステムに更新していく方が生産的である、と考えることもできるかもしれない。

「FFらしさ」とは

ゲームシステムとストーリー、世界観について、それぞれFFらしい要素とは何かを考えてみた。ゲームシステムについては、FF1のシステムを原点としてみるなら「FFらしい」のはFF6までだったといえそうだが、それ以降のゲームシステムは毎回新しいものになっており、今ではそれがむしろ「FFらしい」のかもしれない。そしてストーリーについては、これは全ての作品において一貫したテーマであったり共通の敵であったりというものはなく、そうして作品ごとに独立した世界観が構築されているのもまた「FFらしい」とされているようだ。

そうであれば、逆にどうなれば「FFらしくない」ものになるだろうか。ゲームシステムは作品ごとにバラバラでもFFらしい。ストーリーもそれぞれ全然違って良い。ただ、クリスタルがなく、シヴァもイフリートもおらず、ファイアもケアルもないRPGとなれば、それはFFではなくなるのかもしれない。

要は、クリスタルや召喚獣などのFFを象徴する要素を含みつつ、その時代における最先端のゲームシステムを実装し、あとはスクエニがそれを「FF」として開発、発売すれば、それはFFなのだろう。ここまで長々と書いてきたが、結局「FFらしさ」というのはあまり意味がなく、スクエニがそのIPを使って世の中に送り出す渾身のフラグシップタイトルが「FF」であるということになるのだろうと思う。

結論としては、スクエニさんは今後もFFというタイトルについて、殊にナンバリング作品については、一切の妥協なく力いっぱいつくっていただき、そのIPに恥じないものを世に送り出し続けて欲しいと、そう切に願うということである。

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