[FF11] バージョンアップが教えない歴史(2)

■ バス人は、ガルカンソーセージが主流だった。みんな必死で焼いてたね。
私はバス人でないので当時のことは分かりませんが、
あのソーセージ焼きのクエはほのぼのしたものがありました。
グスタの山の中腹の焚き火に羊肉をいれて1時間待つ…。
同じことをしている人が他にも数人いたりして、
そこでちょっとしたコミュニティができていました。
初期のバス人は、そこでフレとか結構できたらしいですね。
(ええ話や…)
■ サンドリアグレープを食う前衛もいた。
私は黒なので食べてました。
グレープ食べると、INTが若干上がります。
■ ギルドで魔法詠唱をすると職人からたくさんの罵倒をもらうことができた。
合成中にケアルなどの魔法をかけられると、必ず失敗してたんですよね。
今は基本的に合成中は魔法がかからなくなってますが、
実は、タイミングを計れば、今でもかけることも可能です。(´з`)
■ 闇の王が倒せなかった。
キャップがLv55に引き上げられてから、
ちらほら倒した人(ランク6の人)も出てきてた感じですね。
それでも、Lv55のPTで闇王倒すのは辛かったはず。
■ ペットコマンドのエフェクトがバーサクでうるさくてしかたなかった。
今の、シュパーン!ってのじゃなかったですね。
まさにバーサクの、ぶおぉぉーーん!ってエフェクトでした。
■ Maatがいなかった。
限界クエストがなかったのですな。
■ スタックできる合成素材は整頓で1つずつバラさないと合成できなかった。
面倒かったですね、これ。
この修正はもっと早くてもよかったですよ。
■ クビアの闘技場は対人戦できる所だと思ってた。
あー、そうかも(笑)
■ PTメンバー全員がヘイトリストに載ってた。
PTの誰かひとりでも敵対すると、そのPT全員が敵対したことになってました。
(今は、敵対した人のみリストされる)
デキた人だと、絡まれたり釣り失敗したりしたら、
自らPT離脱して逝ってましたね。
■ BC等にあるLV制限は無かった。
レベル制限という仕様がありませんでしたね。
全て無制限で、ランク3になるミッションのドラゴン退治なんか、
Lv30近くでやって瞬殺できてました。
 
■ 安全地帯で釣り役が釣ってきて狩る、いわゆるチキン狩りがなかった。
チキン狩りという言葉は知りませんでしたが、
キャンプ張って釣り、というやり方は、初期はなかったですね。
PT全員で動いて、目に入った敵を辻斬りしてました。
■ パーティーでの経験値補正が今以上に酷かった。
パーティボーナスがなかった(とても低かった?)ですね。
だから、PTメンバが増えると得られる経験値が下がって、
敵の強さによっては効率が悪くなることがありました。
■ サンド港の釣り兄弟が旅に出た時期があった。
体の良い修正期間作りだった気が…。
■ モンク集会、ザルカ特攻などのユーザーイベントがあった。
ザルカがまだ未開だった頃、
大勢でそこへ逝くだけ逝って遊んでたイベントがありましたね。
その頃から、獣人支配のリージョンが現れだしたような気が。
■ 太ったグリーディがほとんど釣れなかった。
私が釣ったのは、ホントごく最近です。。。
■ 槍のエキスパートは戦士だった。
竜騎士や侍がない時代は、戦士が一番の槍使いでしたね。
■召喚ヤグ、忍者ヤグ、侍ヤグは見た目しかそのジョブになっていなかった。
召喚ヤグなのに何も召喚しない。忍者ヤグなのに忍術使わない。
これらは未実装だった故だと思うんですが、
侍ヤグだけは、侍ジョブ実装前から両手刀持ってた気がする。。。
■ 暗黒も片手剣以外持つことを許されなかった。
逆に、ナイトでも両手武器を要求された時期がありました。
Lv30台くらいからダボイでオーク狩りができたんだけど、
オークの弱点は水属性なので、トスの貫通WSとして、
パワスラやダブスラが要求されてましたね。
■ エビルウェポンでレベル上げをやっていた。
ジラート以前は、Lv30くらいの標的にされてましたね。
バタリア、ロランベリー、ソロムグのいずれにもいたので、
結構人気があったように思います。(当時、旋風はなかった)
■ 根性試しクエは運が良くないとクリアできないクエだった。
アタリの???が、ドラグーンとかがいるあたりだと無理でした。
(まだインビジなんて魔法もなかった)
■ 「せんとうちゅう」と打つと「千と宇宙」と変換された。
同様に、「ゆでたまご」と打つと、「ゆでた孫」になっていた。
おそるべし初期Wnn。
■ プロテスII・IIIはあったのにプロテアII・IIIは無かった。
で、プロテアIIが実装され、その後IIIも実装されましたね。
IIがあってIIIがない頃、全員にIIIをかけるのが面倒で、
プロテアIIで済ましてしまうことも多々ありました。
■ 敵の古代魔法を見て黒魔は夢を抱いていた。
(´-`)
■獣人ダンジョンの奥など全く未開の地。夢があった。
最初の頃は、ギデアスすら夢がありました。。。
■熱い狩場ランキング
 要塞地下>縄張り通路>ダボイ
 だったが今は誰も行かない。
かろうじて要塞地下は今も需要がありますね。
縄張りは、骨骨ファンタジー時代は毎晩祭りでした。
あと、Lv50以上の狩場は、もうダボイしかなかったのです。
■ 縄張りと修道はサーチできなかった。
何故かそうでした。
縄張りの混み具合とか、わざわざ足を運んで見に行ったことも。
■ レベル33あたりで要塞に来たときは「穴に落ちたら死ね」がお約束だった。
当時はインスニや薬品もなかったし、まず歩いて戻ってこれなかったです。
エスケプもテレポ(Lv36で習得)もないので、死ぬしかないわけDeath。
■ 55キャップ時代のダボイ南西広場はPCばかりでワンランク上のオークしか残ってなかった。
50くらいだと、チーフ、ザーカー、ベテランあたりが適正でした。
で、それらはすっかり狩られて、残ってるのはチャンプやドレッド…。
そいつらに絡まれたら、もう逃げるか救援するしかなかったのです。
■ 1次黒漂白期のホーリーは鬼だった。
精霊魔法程度の射程と詠唱の早さ、そして高効率な与ダメージと、
ホーリーはまさに神魔法だったらしいです。
■ サソリ狩りが大人気だった。
当時、シャクラミのサソリなんか絶滅してましたね。
■ ケアルのヘイトが激増した頃があった。
タゲもってる人にケアルすると、敵はケアル詠唱者にすっ飛んできてました。
で、タゲが外れてからケアルしよう、という暗黙のルールもできたり。
この頃、裏ケアル(タゲのない人へのケアル)なんて用語が出てきた気がする。
■ デジョンIIクエはフルアラで特攻してた。
氷河に行くこと自体が大冒険だったんですね。
まだ、インスニもない頃だったと思うので。
私は40になってもデジョンIIなんて持ってませんでした。。。
■ ハロウィーンで導入されたトリートの杖は期間中、殴っていればデジョンしてた。
いきなり消えてました。
■ 順番決めて挑発タゲ回しとか。
昔は盾にタゲ固定という概念がなかったのですね。
ゆえに、ナイトも、盾というよりアタッカー、連携要員として動いていました。
■ ちっとも誘われなかった赤。
リフレシュ実装が人気の分かれ目でしたね。
それ以前の赤はかなり悲惨な状態でした。。。
実装後にFFXI始めた赤は、
その時代を生きた赤のおかげで今があると思うべきですよ。
■ みんなサポ割れしまくってなかった?
きっちりメインの半分にサポレベルを合わせておく必要性は、
今も感じませんけどね。私は。
ナイト30のサポが戦士5って人もいました。
■ 反魂樹の根にレイズの効果があると信じられてた。
確かに…。
■ 初めはレベル上げもそこそこに他の国に行こうとしてたね。
してました。
今は、他国よりジュノへ先に行ってしまう人が多いですね。
■ 合い言葉は 『鉄格子には近付くな!』
パルブロ鉱山ですね。鉄格子の向こうにいる亀に見つかってしまうと、
ぐるっと回って大量にリンクした亀の大群がやってきてました。
■ 黒さん精霊スキル上げてないでケアルしてください^^;
黒魔法撃ったらスキル上げとしか思われなかったのは泣けました。
まさにケアルタンクとしか評価されない黒魔道士。。。
■ MPなくなりました。次の白さん交代お願いします。
交代で回復、なんてこともやってました。
昔はヒーリングによるMP回復が遅く、かつリフレシュ手段もなかったので、
回復役を交代で回すという戦術も常套化してました。
■ 敵に殴られる事でTPを溜めていたな。1回攻撃食らうと10TP上昇だったっけ。
攻撃を当てるよりも、挑発してより多く敵の攻撃を受けた方が、
実際よく溜まっていましたね。
■ 三国テレポの白い建物。初めて見たとき、ぐるぐる回って入り口を探してた。
白状します。私も探しました(爆)
ついでにいうと、サルタなんかにあるOPの小屋。
あれも最初入れると思って探してしまいました。。。
■ ダボイ混んでるからズヴァでアーリマン狩りましょうか。
この提案に、黒な私は心底賛成したものです。
フレア…ほすい…。
(もっとも、フレア落とすのはデーモンなわけですが)
■ 隣の白がケアルガしたら、そっちに骨が張り付いた。
昔のモンスターはPTの見境がなかったのですね。
PTが密集してるとよく事故が起こってました。
■ フェインの地下ウェポン。
ダボイの人口密度がピークだった頃、
サンドへ飛空艇でいって、そこから峠越えしてフェ・インという道も
しばしば選択されるようになってました。
人形やコウモリに怯えつつポン狩りしていたあの頃も今や昔。。。
■ 南グスタにLeaping Lizzyっていうネームドいたよ!
ネームドっていってましたね。β時代の呼称らしい。
→現ノートリアス。
■ 初期の要塞地下が印象深い。
当時エスケプはなく、地下へ行ったら脱出手段は白のテレポしかない。
白なしPTでリンクしたら、その場で逝くか入り口まで引っ張るしかない。
ということで、要塞の入り口が祭りになってること多々でした。
骨とかBhuta(ブタ)とかいっぱい溜まってて、
救援でそこにいるPT全部巻き込んで処理してましたね。
■ クジャクの護符戻ってきちゃった。1万で再出品するか。
今じゃ1000万です。。。
■ スチールインゴット高すぎて鞄拡張出来ないよ。
ボンビーな私にはカバンクエは本当にきつかったです。
なので、カバンクエ1すらしばらく放置してました。
■ 獲得した経験値はログに表示されなかった。
これが表示されるようになったのは、
ゲームを良くも悪くもしているなぁ、と感じる今日この頃。
■ サーチしてもPT組んでるかどうかわからなかった。
サーチ表示に色分けがありませんでしたね。
今では、PTな人は青く表示されてるけど、
昔は全員白字表示で、誘ったけど既にPTとか多かったです。
サチコメもなかったしね。
こうして見ていると、昔のシステムは、いろいろ不便もあったけど、
それはそれなりに楽しんでいたのかなと思います。
今は、便利になってしまってつまらない部分も結構ありますね。
インスニなどの実装はまさに典型で。
でも、なきゃないで文句が上がる部分もあるし難しいところです。
あと、ひとつ感じるのは、
ヴァナ世界の情報がネット上に流れ過ぎているな、ということ。
昔、ネットに情報がほとんどなかった頃、
冒険をしながら、分からないことはお互いの経験や知恵で補い合って、
その助け合いでクエストやミッションなどをやっていました。
今はもう、分からないことがあったら、
ネットでちょっと検索かければ、その情報が引き出せてしまいます。
ゲーム内に閉じて情報を入手しながら旅をする、というのは、
RPGを楽しめる大きな要素のひとつではないかな、と思うのですがね。
といっている私も、
ネット上の情報にかなりお世話になっている方なのですが…。
しかし、未知の世界を冒険する、というのは、
本当は楽しいもので、これは皆そう感じているのではないかな。。。

コメント

  1. 北斎 より:

    LSではいつもお世話になっております、北斎です。
    入りたての拙者にとって「過去の話」は驚かされるばかりです。
    経験者はたくさんいて、数々の情報がHP上に掲載されていることは、非常にありがたいです。彼らの活躍がなければ、ヴァナ・ディールがここまで大きく成長することは無かったはずでしょう。しかし情報豊富ということは、「未知」の要素が減っていることでもあり、「未知の世界を冒険する」感動の要素も薄まってきているのでしょうね。
    「情報も無い。システムも使いづらい。ヴァナは未開の地だらけ」
    だからこそ感じられる面白さがあるんだろうなぁと思いました。
    拙者にとって、ヴァナ・ディールはまだまだ未開の未知なる世界であります。「未開で未知」なることを楽しみながら、少しずつ味わっていければなぁ~と思います。

  2. Arle より:

    どもですー。
    多分、今の北斎さんくらいの頃合が
    一番楽しい時期じゃないかなと思います。
    ずっとその冒険心をもっていられたらなぁ
    と思います。。。ホントに。

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